芥川龍之介作『トロッコ』の教材研究

 本稿では、作品を六つの場面(授業単位)に分け、場面ごとにその「構造図」を図示する試みをおこなった。それは、文図という線条的なかたちでは、場面で織りなされているいくつかの要素のからみあいを十分にしめすことがむずかしい‐と感じたからである。そこで線から面へひろげることで、すこしでも要素間のむすびつきを総合的・立体的にあらわすことができないか、と考えてみた。従来から、「はじまり」「つづき」「やまば」「おおづめ」などの作品分析がなされ、綿密な構造図が提示されてきたが、すこし趣をかえて、授業単位(場面)ごとの構造図を作成し、それを授業で活用することを意図した。

 授業の方法については授業者に全面的にゆだねることにして、構造図を作成してみた動機のひとつは、指導過程のどこかで、なんらかのかたちで、(たとえば、予習や復習で、自習の資料として、授業のまとめの時などに)この構造図を生かすことができないかということである。もちろん授業自体でつかうことも、とうぜん可能ではあるが…

 

 構造図を作成していて、どうしても位置づけられない箇所があった。それは、第2区分の最後の4行。

 ――それぎり良平は使の帰りに、人気のない工事場のトロッコを見ても、二度と乗ってみようと思った事はない。唯その時の土工の姿は、今でも良平の頭の何処かに、はっきりした記憶を残している。薄明りの中に仄めいた、小さい黄色の麦藁帽、――しかしその記憶さえも、年毎に色彩は薄れるらしい。

 ここで、芥川は、「良平は、人気のない工事場のトロッコを見ても、二度と乗ってみようと思った事はない」と、断言しておきながら、すぐその十日あまりあとに、良平に事件のおこりとなる行動をとらせている。そこが、話の進行からしてどうしても不自然で、齟齬がかんじられてしまう。そのため、「構造図」ではこの部分はあえて無視し、触れずにおくことにした。「エピソード」とか「回想」とかとみることも、無理があるように、私にはおもわれた。(名手、芥川の、筆がすべったのだろうか???)

 この点はさておくとして、いまひとつの動機は、場面ごとのテーマを順にならべていくことで、その延長線上に作品全体のテーマをうきたたせることができないだろうか‐という問題意識である。しかし当然のことながら、実際にやってみると、単純にはいかないことがわかった。芸術作品は、意想(構想・趣向)が凝らされており、それほど簡単なものではない。今後、テーマにせまるさまざまな実践がつみかさねられていくなかで、すこしずつ明らかにされることなのだろう。

(現場を離れているため、授業はできていません。)